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横浜地方裁判所 昭和38年(ワ)387号 判決 1963年11月07日

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一、原告の申立及び主張

原告訴訟代理人は、「被告は原告に対し一五九万七、〇〇〇円及びこれに対する昭和三四年一一月一日より完済迄年六分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、次のとおり述べた。

一、原告は洋品店を営む商人であるが、左官業を営む商人であつた被告の父訴外村越忠に対し、昭和三四年五月一日より同年七月二二日迄の間別紙貸金目録記載のとおり一一回にわたつて総額一五九万七、〇〇〇円を貸渡した。

ところが忠は同年七月三〇日家出して生死不明となり、同年一二月七日横浜線長津田の山中で白骨死体となつて発見され、家出当夜自殺死亡していたことが確認された。

被告は他の相続人と共に忠の遺産を相続したのであるが、昭和三五年二月横浜家庭裁判所川崎支部に他の相続人全員と共に相続放棄の申述をなし、同年三月一〇日右申述は受理された。

二、然し被告は忠の家出後その行方を百方捜査した結果、忠の死亡即ち自己のため相続が開始したことを確実に予想し、前記相続放棄前、既に忠の遺産を隠匿するため次のような処分行為をしているから民法第九二一条第一号により単純承認をしたものとみなされ、その後になした前記相続放棄は無効であり、忠の原告に対する前記貸金返還債務を単独にて承継したものである。即ち

(1)  昭和三四年八月一七日、左官業を目的とする有限会社村越工業所を設立して忠の営業を承継させ、遺産に属する左官工具及び自転車を右会社に昭和三六年一〇月頃迄、無償にて使用せしめた。

右の如き長期間の無償使用を認めることは、それが対価を得ずして物の価値を減ずるものであるから民法第九二一条第一号但書所定の短期賃貸借と異り処分行為に該当する。

(2)  忠の経営していた川崎市戸手本町二丁目所在の店舗における炭屋営業を承継し昭和三五年一月初旬迄経営していた。

(3)  昭和三四年八月中旬頃、遣産に属する洋服箪笥、ベビー箪笥各一棹及び衣料品(忠が原告より昭和三四年五、六、七月頃買入れた作業用ズボン一八着ほかジヤンパー、布団、毛布等数十点のうち当時残存していたもの)を他に売却した。

(4)  昭和三四年八月二〇日、忠が家出前訴外金井一男より九万八、〇〇〇円にて買受け代金掛払中のトーハツ原動機付自転車の売買契約を合意解除したことにし、同日金井と右車輛について月七、〇〇〇円の使用料を六ヵ月支払つたときはその所有権を被告に移転する旨の契約をなし、右車輛を使用した。

(5)  昭和三四年九月一日、訴外松原和恵が忠に対する約束手形金債権保全のため忠の遺産に対し有体動産仮差押の執行をした際、被告は忠が金井より買受けた前記トーハツ号及び訴外川崎マツダ販売株式会社より買受けたヤマハ号の原動機付自転車各一台を、いずれも村越工業所の所有物と偽つて執行を妨げんとしたが、結局差押えられた執行吏より保管を命ぜられたに拘らず、これを売主の金井及び川崎マツダにそれぞれ引渡した。

三、仮に被告が右各処分行為当時忠の死亡を予想しておらず、自己への相続開始を知らずに右各処分をしたとしても、被告は昭和三四年一二月七日忠の死亡を確認し相続開始を知つた後自己において処分した忠の前記遺産を原状に回復して限定承認をなすべきに拘らずこれをしなかつたのはこのときにおいて不作為による処分をしたことになる。

四、よつて原告は忠の単独相続人である被告に対し前記貸金一五九万七、〇〇〇円及びこれに対する右貸金の弁済期の後である昭和三四年一一月一日以降完済迄商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。

第二、被告の答弁

被告訴訟代理人は主文同旨の判決を求め、次のとおり述べた。

一、請求原因第一項のうち原告の忠に対する貸金の点は不知、その余を認める。

二、同第二項を争う。被告は昭和三四年一二月七日の死体発見によつて始めて忠の死亡を知つたもので、それ以前に忠の死亡を予想していたことなど全くない。

元来民法第九二一条第一号により単純承認をしたとみなされる処分行為は同法第九一五条第一項と同じく相続人が自己への相続開始を知つてこれをなすことが必要である。従つて被告が相続開始を知つた昭和三四年一二月七日以前の事実を挙示して単純承認があつたとする原告の主張はそれ自体理由がないし、また被告が忠の遺産を処分した事実は全くない。即ち、

(1)の有限会社村越工業所は被告を始めとして忠の残された家族及び忠の従業員の生活を維持するため設立されたものであるが、右会社は忠の営業を承継したものではない。また被告は右会社に忠の所有していた左官工具及び自転車の無償使用を認めたことはあるが、被告人の相続開始を知つた昭和三四年一二月七日以降その使用を禁じ被告において現在迄保管している。更に右の無償使用即ち使用貸借は物の管理、利用行為であつて処分行為ではない。

(2)の炭屋店舗は忠が昭和三四年六月頃訴外鈴木輝雄より賃借し、被告の弟村越進が炭屋を営んでいたものであり、被告とは何等関係がない。

(3)の洋服箪笥及びベビー箪笥処分の事実はない、また忠が原告方より若干の衣料品を持参したことはあるが、その一部は家族及び従業員に日用品として忠より贈与され既に使用していたものであり、残部は忠が原告方より持参した翌日他に持去り処分したもので、被告が処分した事実はない。

(4)及び(5)の原動機付自転車はいずれも忠が所有権留保付月賦販売契約にて買入れたものであるが、割賦金未払のため所有権を取得しておらず、トーハツ号については昭和三四年八月二〇日金井より、ヤマハ号については同年九月一日川崎マツダよりいずれも前記契約を解除された。従つて(4)の事実は合意解除の点を除き原告主張のとおりであるが、これは何等忠の遺産を処分したことにはならず、(5)における原告の主張は事実に反し、右原動機付自転車はいずれも金井及び川崎マツダが各所有者として持去つたもので被告が処分したものではない。

三、同第三項を争う。右のとおり被告は忠の遺産を処分していないから原状回復義務はないし、また限定承認をするか相続放棄をするかは相続人の自由であるから原告の主張は全く理由がない。

第三、証拠関係(省略)

理由

一、原告が忠に対しその主張の如き貸金債権を有していたかどうかは暫くおき、忠が昭和三四年七月三〇日家出して生死不明となつたこと、同年一二月七日忠の白骨死体が発見され且つ家出当夜自殺死亡していたことが確認されたこと、被告を含む忠の相続人全員が昭和三五年二月横浜家庭裁判所川崎支部に相続放棄の申述をなし同年三月一〇日右申述が受理されたことは当事者間に争いがない。

二、ところで被告が民法第九二一条第一号により単純承認をしたとみなされるためには、被告が忠の死亡即ち相続開始の事実を知つて相続財産を処分したことが必要である。元来相続放棄の制度は相続人保護のため設けられたものであり、民法第九一五条が相続人に対し相続開始を知つた後承認または放棄を選択すべき熟慮期間を定め同法第九二一条第二号がその徒過をもつて単純承認をしたとみなしている趣旨よりすれば、同条第一号の処分行為は相続人が相続開始を知つてなしたことを要するものと解すべきであり、もしこれ同号が相続開始の知、不知を問わずなされたすべての処分行為につき適用されるとすれば、相続人から放棄の利益を奪うに等しく第九一五条、第九二一条第二号の趣旨は没却されよう。

またこのように解したところで相続開始を知らずになした相続人の財産処分については事務管理、不当利得、不法行為の諸規定による原状回復または金銭賠償の余地があるから相続債権者の権利は保護し得る。

三、よつて先ず被告が原告の主張している財産処分当時、既に相続開始即ち忠の死亡を知つていたか或いは知つていたと同視し得る程確実に忠の死亡を予想していたかについて案ずるに、被告が忠の死亡を知つたのは反証のない限り死体発見による死亡確認の日即ち昭和三四年一二月七日と推認すべきであり、これを覆えしてそれ以前既に被告が忠の死亡を知つていたと認むべき証拠は全くない。

してみれば右日時以前の処分行為を挙示して被告に単純承認ありとする原告の請求原因第二項における主張はその前提を欠き、右処分行為の有無について判断する迄もなく失当である。

四、次に自己のため相続開始があつたことを知らずに相続財産を処分した相続人は、その後右の事実を知つたとき、それ以前知らずに処分してしまつた相続財産を原状に回復すべき義務があるかどうかについては、右の処分行為が委任、事務管理、不当利得不法行為等の何等かに該当する場合はそれぞれに対応した原状回復、利得償還、損害賠償等の義務を負うべきであるが、それ以上に更に右義務の不履行が不作為による相続財産処分としてそのとき単純承認をしたものとみなされるとは解し難い。従つて原告の請求原因第三項における主張はそれ自体失当である。

五、よつて原告の本訴請求は失当として棄却することとし、訴訟費用の負担については民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

別紙 貸金目録

<省略>

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